出張ですが4月14日は、大阪へ行くために九時代のJR線で大阪へ。 もちろん早々にホテルに荷物を預けて、地下鉄で「なんば」へ。もちろんはじめは「金龍ラーメン」を食べるために千日前へ。昔10数年位前に(?)この地にあった「ダイエーの千日前店」で セールをやったことが数回あって、搬入のときによく食べていたので、懐かしくて絶対食うぞ!!で行ったが、店の中がちょっと雰囲気が変わっており、予習していたのでいきなりではなかったが「やはり」と感じてしまったこの時代の変化。 その後に「道頓堀」や「心斎橋筋」を散策して、途中「アメ村」などへも足を延ばしてみた。しかしパワフルな町だ大阪は。また「道頓堀」へ戻って「たこ焼き」をゲット。昔大阪城に遊びに行ったときに売っていたたこ焼きが、初めて食べたので分からなかったが、仙台だと「半生」のようにやわらかかったので「生焼けを食わされた!」との思いが以後ずっーーーーーーとあった。その後、大阪の同業者に聞いてみたらそれが一番うまいと言われて唖然!。「あの時捨てなければよかった。」といっても後の祭り。今回は「明石焼き」と共に食べたがこの「とろみ」が本当にうまいと感じた。 さて今回の大阪のもうひとつの尋ねるきっかけが「カム・トゥギャザー(10数年前から催事で知り合ってその後現在まで付き合っているが店に行ったのはこれがはじめて)」のお店に行きたかったのだ。これも夕方には何とか到着。探していたCDを見つけて早速ゲット。 その後に行く予定の通天閣の場所を確認しながら、おいしい店を教えてもらって、歩きで向かった。夕方で寒くなってきたが時間もかかったが到着。 夕方薄暗くなってきたが通天閣に上って、少し温まって、さあ「じゃんじゃん横丁」へ。またもやチョット不安になり、二人組みのだんなさんに道を聞いて場所が不安ながらも分かったので、道を急ぐ。途中でとあるお店に入ろうとしたら、気になっていたのか後ろから声をかけてくれたのが先ほどの二人組み。そして道すがら結構色々話が弾んでいうるうちに目的のお店に到着。なんと偶然にも自分たちがカム・トゥギャザーのオーナーに教えてもらったのと、本で調べたお店ともばっちりあっていたのには驚いた。地元の人も食べに来る本当に庶民的なお店で思わず「ニッコリ」。とにかくうまかった。 帰りは近くの地下鉄「御堂筋線」でホテルに戻って。 今日はどのくらい歩いたのだろうか?二人とも足が重くなっていた。少なくとも8km位かな? でも大阪に来て感じたのが、「人の良さ」。このときの二人の大阪人と、昔最高に親切にしてもらったアメリカの「メンフィスの二人の南部ホシピタリティ」を思い出した。自分もこうなることが善いと思うのだがなかなかできない。自分はまだまだ未熟なのかと思い返した一日であった。 写真は夕刻の「通天閣」である。
続きです。 出張中ですが、4月13日は搬出日ですが、朝から「明石の明石大橋」へ。 今日は一応曇りですが雨にはならず一安心。 巨大な橋のサイズにおどろいた!!それよりその真下で海を覗き込んでいた、七十代と思しき老人に声をかけたら話に花が咲きいろいろな話を。 彼はオン御年90歳なのにこんなに元気ですごしていると言っていて驚いたが、それよりも驚いたのは、あの太平洋戦争に兵役で参加。それも「真珠湾攻撃」に参戦したというのだから驚いた。その後に「ミッドウエイ」「ガダルカナル」などの戦場である海域へ言ったというのだ。しかもうち2回は戦艦が沈没して、はじめの時は1500人のうちの150人に自分が含まれたそうだが、なんとその後に乗った戦艦も沈没して、250人のうちのたったの7人だったそうだ生き残ったのが。その後戦争終了語に内地に戻って、三井造船(だったと思う)に定年まで勤めて、その後に自分でなんかの工場を作ったそうだ。 本当に縁起の良い方みたいで、生命力がものすごかったのを感じられた。 帰り道にも「新長田」で鉄人28号のオブジェに会いたいために、行ってみた。 漫画家「横山光輝」氏のファンである自分が、結構満足したのは言うまでもない。 そして仕事場へ戻って、無事搬出完了。 また本町まで戻って、前回と同じ中華料理を満喫。 その後メリケンパークへ夜の散歩。食いすぎた分をこなしてたっぷり2時間くらいを散歩で楽しんだ後ホテルへGO。 いわくパワーのある人や、自分の人生が守られている人が現実にいるものだと変に実感した一日でした。
季節は春なのだが、作並は結構ちらちら小雪が待ったりしていて、日によっては朝早くは、雪があったりして、今年はナンなんだ!と思う今日この頃。あと二ヶ月に迫った引越しを考えている。昨日も昼飯を食べに行って、可愛い息子の二匹の犬を散歩に連れて行ったらいいところを割りと近くで見つけて、楽しんだ。戻ってきて、暖かいので以前買ってたアスファルトの補修用で凹みを治していた。その後に思い立ってやにわに再度出かけなおしたのが、夕方だった。途中で何度も通った道で探していたコンテナハウスの展示場を見つけて思わず道草。後日作並に来てもらい状況を説明して、見積もりを!コレでもうひとつの問題だった、小さいライブハウスが可能になる一歩手前にきた感じ。この後に続くのが、内装と防音かな?またひとつ目標が見えた。神に感謝!というより今まで見つけられなかった自分たちにがっくりと驚き!
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